長い歴史の上。

今日は久々に都内へ。

午前は茨城。さて、会社から出ようとすると1cmはあるかと思われるような雹交じりの大雨。車に凹凸が付くんじゃなかろうかって位の激しさ。40分〜50分は続いただろうか。しかし、会社を出発して1kmも進むと何事も無かったように路面が乾いてる。

最近、天気も何もおかしいよね。「観測史上最大」なんて言葉、日本や諸外国で相次ぐ地震だったり、最近ではアメリカでの記録的な豪雨だったり。「百年に一度」、「千年に一度」なんて言葉にも、やけにリアリティが生まれる今日この頃。


揺られる電車の中ではGLAYを聴きながら、そんなリアリティに対する妄想のお時間。ナム。

「千年」なんて、とんでもない単位の時間だけどね。だけど、そんな単位を耳にする度、「自分たちの祖先が生きた時代ってどんなだっただろう?」なんて考えが膨らむ。


自分の父は公務員、祖父は農家。曽祖父はといえば藁葺き屋根の職人だったそう。今でも「屋根屋の息子」なんて呼ばれるのはそのせい。笑 

母方の曾祖母の前の代の先祖は、稲敷台地で取れた米を茨城から東京へと利根川を使って運ぶ船運を取り仕切っていた人らしい。今でも川沿いの母方の実家には船着場の名残があり、また、米を集めるために使ったのか、「馬頭観音」という馬を奉った石碑がある。しかしその後の関東大震災で東京からの資金を回収出来なくなり、新しく煎餅屋を始めた、それが母方の曾祖母の代。それぞれに色々な歴史のドラマの中で生きてきたんだろうなぁ。


しかし、「その前の代は・・・?」と聞かれると、それは分からない。どこで、どんな生活をしていた人なんだろう。どこでどんな物語を作ってで生きた人たちなんだろう。タイムマシンがあったなら、辿って見に行ってみたい。しかし、それは叶わないこと。どんな生き方をした人なのか、何を見てきたのか、それは今となっては誰も分からない。そう考えると儚くもあるけれど、そういった人たちがあって、今の自分たちがいる。それだけは、確かな軌跡。


とある機会、自分の血液から「HLA」の型を調べたことがあって。それによると、自分のルーツ、遠い遠い祖先は中国の南部あたりの人なんだそうな。確かに、言われてみると俺もキツネ目ですけれど。笑 しかしまあ、俺はそれから何十代、いや、何百代、何千代目の子孫なんだろう。

HLAの型については、兄弟で25%の確率で一致、他人となると数万人にひとりしか一致しないらしい。よく、「人は自分に似た人に好意を抱く」なんて話を聞くけれど。恋人もそう、友人だってそう。顔や性格、どこか似た部分があるから惹かれるということは確かにあると思う。それはもしかしたら同じ先祖から派生していたり、似た系統の人物だったりするのかもしれない。もっと言えば、先祖同士が熱い大恋愛の末に結ばれた可能性だってあって、「来世でもまた会うべ。」なんて約束して、姿を変えて今出逢っていたり、出逢おうとしているのかもしれない。笑 なんか、そう考えると歴史って感動的でもあり、神秘的でもあり、とても面白い。


なーんて、長くなっちまいましたが。笑 たまにはこんなことを考えてみるのも面白いっす。


そういや、めちゃくちゃ楽しみにしていた夏のGLAY FC限定ライブ。予約に必要な会報の表紙を紛失してしまいました・・・。

俺の祖先にもこんなおっちょこちょいな駄目な人、いたんかな。汗 なんか、俺だけな気がするのは気のせい?笑
はーあ・・・。


んじゃまた!